北産土神社
守山市服部町(津田)
兵主二十一社の内
服部町の一部であった津田が安土桃山時代に分離独立する際に産土神社の分神を勧請
江戸時代には津田組と神事組があり、津田組は別に津田神社を祀り勢力争いが絶えなかったが明治初期に津田神社を境内社として合祀、現在に至る
十禅師神社と称するを明治10年に産土神社と改称したのは南と同じ
太鼓部屋
南産土神社の項に書いたとおり、こちらは太鼓を出すのだろう
手水舎
亀が檻に入っている
拝殿
本殿・境内社
本殿前の中門は代官上田義命の陣屋の北門であったが昭和58年玉垣中門造営に際し境内の隅に移転、永久保存する…とのことだが手水舎のことか?
うしろから…逆光上等( ̄∀ ̄*)イヒッ
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